のぶパパ君のうつ病回復日記

うつ病からの生還者

僕の日記読みませんか?7

5月21日続きを書く

 一度就職が決まりましたが、一週間のうちにまた再発しまして離職しました。

 自分ではもう大丈夫と思って頑張って行こうという気でしたが、新しい環境と仕事がプレッシャーになり、やらなくちゃ、やれなければいけないとまた自分で自分を追い込んでしまいました。

 最後には会社で泣いてしまいました。 

そちらでお世話になった社長さんや部署のリーダの方はとても優しい方々でした。最後の時もまずはゆっくり治して下さいね。と僕を気遣ってくれていました。なので自分がまだ治っていないということがハッキリとわかりました。

 そしてもう一度病院へ通うようになりました。

 

僕の日記読みませんか?6

妻へ、辛くあたってごめんね。ご両親には沢山していただいた事も思い出してきました。今はまだ完治したとは言えません。たまに泣けてくることもあります。これからは未来を見て先に進んで行きたいです。こんな僕ですがこのまま一緒に暮らしてほしいです。子供達と共に暮らしていきたいです。
3月1日続きを書く
 新しい就職先が決まった。妻も喜んでくれている。これで新しいスタートができる。いろんなことがあったが、気持も安定している、元気もある、大丈夫だ。
 僕を励まし、支え、暖かく見守ってくれた家族、友人、全ての人に感謝をし、次へ進みます。

 この日記は、ここまでとさせていただきます。

   ありがとうございました。

僕の日記読みませんか?5

普段は家事全般をやっている。妻は仕事から帰ってくると洗濯物も片付けてあって、ご飯もすぐに食べれるから嬉しいと言ってくれる。これは、僕にとって救いの言葉になっている。 
 数日前だが子供達がリビングで、勉強している時、夏目漱石の「こころ」の話になった。これって「主人公、自殺するね~」と言った瞬間、弟が「おい!」と言って姉の方を見る。その「おい!」という言葉もそんなに強い口調ではなく、笑いながら言っていた。二人とも心配してくれているのだと思う。
 今はだいぶ落ち着いて死を考えることはなくなってきた。
 妻が帰ってきてから仕事の話をする。その日は嫌な記憶が増殖したのか夢の中でも追い詰められ苦しくなってうなされて夜中に目が覚めた。
2月2日続きを書く
 今日は母親と昼食を食べた。離れて暮らしていることもあり久しぶりだ。
 まず病の事を話した。今は気持ちが安定していることも話した。黙って聞いてくれていたが僕に「一つだけお願いがある」と言った。なんだろうと思った。
 母が言いたかったのは、妻に妻の両親の悪口や愚痴を言わないで欲しいとのことだった。ハッとした。僕は、勤務している頃から言っていた。病気のせいではない、言い訳をすれば対応を変えて欲しかったし、やれていないことも勿論あったと思うがやれていたこともあったはず、少しは認めてもらいたかった。それが一つもなかった事について、とても辛かった。あの工場に18年働いて何か貢献できたのかも、今ではわからない。無いと言われればそれまでである。
 今日、母親と話してみて改めて僕の母親は凄いなぁと思う。今日話した内容は文章にするのは難しいので、自分の中に大事にしまっておくことにする。母親の考え方に尊敬をした。それを書いておく。

 

僕の日記読みませんか?4

1月23日に子供達に話した。娘は泣いている。息子も動揺が隠しきれないでいる。
まず妻が「パパ病気になっちゃった」た伝えた。
僕も「頭の病気になっちゃった」と明るく話した。
子供達は癌や脳腫瘍のような治らない病気になったんだと思ったらしくかなりびびったようだ。
そのあとで、うつ病になった事とどんな病気なのかということを話した。治療には時間がかかる事も話した。
そして僕は「しばらく主夫になります」「よろしくお願いします」と言った。
 後で妻に聞いたが息子はこのままラグビーを続ける事ができるのか?学校には通えるのかと、僕には言わなかったが心配していたらしい。娘も僕が自殺をするのではないかと心配している。
1月28日続きを書く
 1月24日リハビリを兼ねて午前中に散歩に出てみる。一人でゆっくり歩いて帰って来るだけだ。日の光に当たることが改善につながると何かで言っていたからだ。
 歩く前から少し不安になる自分でも大丈夫だと言い聞かせながら……。それとこれも症状の一つなのかと、考えながら出発する。
 歩いているとだんだんと不安が押し寄せてくる。ここで思い返す、友人が言っていた「あまり一人にならない方がいいよ」
 そう言う事かと納得した。家に居れば今は子供達がいるから安心して居られるが、普通に学校に行っていたら自分は、大丈夫なのか?と思う。
 ただの散歩なのに泣けてきた。やっぱり病気なのだと実感する。
 気分を変えて歌を口ずさんでみたらその歌にまた泣けてきた。歌うのをやめた、歌いたかったのは海援隊の「人として」だった。ギターでも弾いていた大好きな曲だった。

僕の日記読みませんか?3

1月27日続きを書く
 その後先生は、「治療しますか?」と聞いてきた。
僕は「治したいです」と言った。
「大丈夫ですよ、治りますよ」先生の言葉にまた泣いている。
安心した。ここまでのやり取りだけでも気が楽になった。
 先生は薬の治療よりもTMS(経頭蓋刺激)という最新医療を勧めてくれた。
先生は丁寧に説明してくれた。簡単に言えば脳内に直接電気の刺激を送り脳を正常に戻す方法だという。僕の理解度はこの程度だ。
 「今すぐに治療を受けていくなら会社にも無料で休職届け書いて上げれますよ」と言われて、すぐにお願いした。会社に行きたくなかったのと、これしか治す方法は、ないと思ったからだ。でも金額が高い、迷った、何か他に良い方法があるのではないか?
でも休職届けを書いてもらえる事の方が考えの最優先にきた。とりあえず今日は一回だけ現金で、払うことにした。
施術は、頭の寸法を測りヘッドキャップのようなものを付けておこなった。治療中は頭にコツコツという刺激がきた。
 治療が終わって2時をまわっていた。お腹が空いたかどうかもわからない、でも何か食べなければと思いマックを食べて家に帰った。帰る前に妻にLINEをした。
「今診察、治療終わりました」
うつ病です」
「今から帰ります」
家に着いてから何をしたのかあまり覚えていない。多分何もしていない。

僕の日記読みませんか?2

1月26日続きを書く
 カウンセラーとの話を終えてまた待合室で待つ。今話した事をドクターに話してから診察をする。
 診察の前には光トポグラフィー検査というものを受けた。それは予約をするときに依頼していたからである。その検査というのは、脳内の状態を数値化して、うつ病の症状を見える化する検査である。
 内容は、モニターの真ん中に+の文字が書いてありそれを見ながら目を閉じずゆっくりと「あ、い、う、え、お」「あ、い、う、え、お」とヤメの指示があるまで繰り返す。次に言われた文字の単語を出来るだけたくさん言うという検査。例えば「え」なら、「えのぐ」「えんぴつ」などである。この時、言った単語の多さで症状が、決まるわけではないと説明をうけたが、頭の中に浮かぶ単語は限りなく少なかった。一つも出てこない文字もあった。
 最後にもう一度「あ、い、う、え、お」と繰り返す。最初にやった時よりも長い時間続ける。
「ヤメ」と言われて終わる。
 これで検査終了である。時間としては長くはなく10分程度だった気がする。だんだんと記憶は薄れていっている。検査の前には練習もした。
 また待合室で待っている。「番号札17番の方」ドクターにて呼ばれて診察室へ入る。荷物を部屋の隅の台へ置く。椅子へ座るように静かに案内される。
 ドクターはまず自己紹介をしてカウンセラーとの話を読ませてもらいましたと言いました。そのあとで「あなたはどこが、ご自分で悪いと思われますか?」と聞かれ戸惑う。
 そして「心が壊れてしまったと」答えたと思う。
「じゃ~心ってどこにありますか?」と聞かれ、考える。
「じゃ~魂ってどこにありますか?」と聞かれ、また考える。
 先生は、少し微笑みながらゆっくりと
「ありませんよね」と言って微笑んでいる。こちらは黙ってポカンとしている。
 先生は説明を続けてくれる。
それは、脳みそが異常を起こしていると。
 そして先生は、「私は超能力者でもなければ、霊能者でもないので、あなたの心の中を全て分かるということは、ありません」こちらはまたポカンとしているのと、そうだよねと少し納得している。
 先生と鬱について色々話していく。色んな説明や具体例なども入れて話をする。
うつ病ですね」あっけなく言われた。
 泣いた。色んな感情で泣きじゃくった。
先生は「うつ病と言われてどう思いましたか?」と聞いてきた。
「正直、安心しました。」
「やっぱり病気だったんだと、そう思いました。」
書いている今も泣けてくる。
 うつ病の人はなかなか自分が病気だと認めないらしい。だから、どうして自分から病院に来ようと思ったかを聞かれた。
「自分でもおかしくなっていると思う」と伝えた。
 話した順番などは忘れてしまった。今覚えていることで書いていく。
·自分の心は、自分が王様で好きなよう    に出来ること。
·今の状況は自分の気持ちの持ち方で変えられること、そしてそれを治さないとまた同じ事の繰り返しになること。
·先生が受け持った何千の患者さんと同じ症状なこと。だから絶対治ること。
·今までに無い症状ではないので先生は、安心していること。
·先生と話している最中にも何度も泣いている、そのタイミングでさえも全てうつ病患者のテンプレートに沿っていること。

僕の日記読みませんか?1

僕がうつ病と診断されてから書いた日記のような文章を載せます。

 

1月24日

 うつ病と診断されて2日経ちます。

22日に心療内科を予約して、行ってみたら違う医院に来ていた。

 ただ、間違えた。でも親切な対応だったので病んでいる気持ちでも少し恥ずかしく思っただけですんだ。

 本当に予約した医院はそこから一駅離れた場所だった。自分が覚えていた医院は、名前も違っていた。後から思えば焦っていたのか、病気が原因なのかは、わからない。

 病院に向かう電車の中、何故か泣けてくる。それは病院を間違えたからとかではなく、悲しくなる、泣けてくる、涙があふれる。土曜日の昼間に電車の中で45の男が泣いている。これは異様な光景だ。自分でもわかる。だから下を向き顔を隠す。ばれないように。

 予約していた病院に着けば予約時間より少し過ぎていた。

1月25日続きを書く

 時間は過ぎていたが、何も問題はなかった。受付の女性の方も何事もないように対応してくれた。心療内科だからなのか、とても穏やかに感じた。

 まずは、問診票を渡され記入するように言われる。

 今、質問を思い出すとはっきり覚えてないが、自分でも自覚できるほどチェックが入った。また泣いた。泣きながらなんとか書き終えた。

 涙を拭き、「お願いします」と問診票を受付に持っていく。17番の番号札が渡された。

「それでは、お掛けになってお待ち下さい」

「はい」と言って静かに座って待つ。

何も考えないようにする、何かを考えれば泣けてくる。嬉しかったことや楽しかったこと、それもだめ。仕事関係もだめ。ただ静かに落ち着くように待っている。

 しばらくすると「番号札17番の方」と呼ばれる。「あ、はい」と小さく返事をし、個室に案内される。

 鞄と上着を部屋の隅の台の上に置く、そして椅子に座って待つ。

 すぐに女性が入ってきた。カウンセラーだった。カウンセラーの方の名前は覚えてないが、まず自己紹介をしてくれた。その後名前を確認するように名前を聞かれた。

 そして色んなことを聞かれる。でもそれはとてもゆっくりと穏やかに。問診票にもかいた僕が、何に困っているか。カウンセラーは、僕が何に対して困っているのかゆっくり聞き出そうとしてくれている。

 それだけでも、気持ちが楽になった。それと同時にわんわんと泣いていた。電車の中の様にではなく声をあげて泣いた。   「ごめんなさい」自分でも泣きすぎだと思うくらいだ。小さく謝り泣きながら話した。

 カウンセラーは、「辛かったですね」「大丈夫ですよ」と安心させてくれる。

少し落ち着きを取り戻しまた質問される。

それは、今よりも昔の事、子供の頃やそれ以降、前の職場などだった。

あと、家族の中にそのような人はいないかなど終始優しく聞いてくれた。

 この時僕の頭の中で絶対いけない事だとわかっていても考えてしまう事を素直に話した。

 それは、「相手を傷つけたい、殺したい、もう死にたい」ありのまま伝えた。

 泣きながら伝えていた。考えてはいけないこと、普通なら考えつかないこと、それが頭の中をずぅっと回っていること。どうしていいかわからないこと。カウンセラーの方はうなずきながら聞いてくれていた。

 1月25日今はその日の事を思い出して書いているが、今はその考えが頭に浮かんでこない一度治療を受けたからか?家族の理解が得られたからなのか?

 子供達は、自宅学習をしている。今も目の前でリモート授業と入試の勉強をしている。

 うつ病になったことは、次の日1月23日の日曜日に話している。