のぶパパ君のうつ病回復日記

うつ病からの生還者

元気にやってます!

皆様お久しぶりです。

 新しい仕事に付き一年が過ぎました。

仕事は忙しく、とても大変ですが充実した日々をおくっています。

 仕事では、この一年で僕の部署の方々が次々と退社をされ中途採用で一年経った僕が一番の古株になってしまいました。w 

 わからない事ばかりですが、なんとか仕事は頑張ってます。

 今は前にあった恨みや怒りはほとんど無くなりました。  

 そんなことを考えなくなりました。

以前は早く寝ないと朝も起きられな位、体力がかなり落ち込んでいましたが、今は寝る時間が遅くなっても大丈夫なようになりました。

 今、考えれば体力も気力も早いうちに回復していたと思っていましたが、それは違っていて最近やっと回復してきたんだと今になって思います。

 趣味だった釣りにもやっと行って見ようかな?と思うようにもなりました。

 日々回復は、していっているようです。

 毎日仕事でも出来る事を出来るだけやろうと思っています。

やれないことはやれない事でかまわないと思います。

 日々の生活で辛い思いをしたり生きづらさを感じて見える方は、どうか頑張らないで下さい。 

 もう十分頑張ってますよ自分を大事にしてください。

 駄目なら場所をかえてください。

 どこでもやっていけますよ!

 どうかご自愛ください。

 

 

 

仕事も頑張ってます!

こんにちは、のぶパパです!

 4月から新しい仕事にも就きました。

最初3ヶ月間は試用期間として働きました。

 最初はすべてのことが、凄く怖かったです。 

 仕事もできるのかな?

 続けられるのかな?

 怖い人とかいるかな? 

 また病気が再発しないかな?

 仕事にも人にも怖さを感じていました

 

ですが、今回の就職先は違いました。

 

新しい事ばかりでしたが、上司の方や職場の人達も優しい人達で、仕事にも人にも緊張はありましたが、怖さは感じませんでした。

 まずはやれる事を精一杯やろうと思いました。

 そして出来ないことは、出来ませんと言うようにしました。

 そして出来るようにするために教えてもらいました。

 でもこれらのことは人に言わせれば当たり前の事かも知れませんが、僕にとっては難しい事になっていました。

 自分の中で出来なければいけない!

 やれなければいけない! と

 勝手に自分を追い込む事になっていたからです。それは僕のいた環境がそうさせたのかも知れませんが僕はどんどん追い込まれて鬱になり適応障害と診断されました。

 もし僕と同じような症状や気持ちの方がみえたなら「出来ていますよ」「大丈夫ですよ」と声をかけてあげたいです。

 でも、この様な方は、いやできてない!やれてないと!もっと上手くやれるはずと言ってまた自分を追い込んでしまうのです。

 僕は心療内科の先生にも考え過ぎてしまう性格を少しずつ変えていきましょうと言われました。

 

こんにちは、のぶパパです。

今、思うとあの状況から早く逃げ出せばよかったのかと思います。

 もっと早く妻に相談できてたら、こんな病気にならなかったのに、みんなが辛い思いもしなくてよかったのにな〜とも思います。

 これは、子供が虐めを受けていても親に話さないのに、似てるかも?

 やっぱり心配をかけたくない、自分が耐えていればいいんだ!

 いつか終わる。

 いつかわかってくれる。

僕のいつかは、来ませんでした。

 もし読んで下さってる方やそのご家族

友人の方が職場や学校などで辛い思いをしているのであれば、僕はその場から離れることをおすすめします。

 僕は鬱病と診断されて働ける状態ではなくなってしまったので十八年ほど働いた嫁実家の会社をまずは精神科医に診断書を書いてもらって4週間程行きませんでした。

 その間は一人で居ると不安になったりなにもないのに勝手に涙が流れてきました。家族がいても、急に泣けてきたりしてました。声を出すのにも力がいると言うか、声にも力がない状態、大きな声が出せない状態です。

 現在は大きな声も出せるようになりました。今は泣いていません。

 僕の最終的な診断は適応障害とされました。なので義理親、義理姉弟から離れていれば特に再発はないと僕は考えています。  

 ゆっくり心と身体を癒やし新しい仕事にもつきました。

 今は辛くても頑張って見える方は気をつけて下さい。 

 僕は性格も明るく何事も楽しくやれることや友人の中でも場を明るくするムードメーカー的な性格で、まさか自分が鬱病になるなん思いもしませんでした。

 だからこそ自分は大丈夫と思っている方は気をつけておいて下さい。 

 どうぞご自愛ください。

 

 

今よく考えてること

おはようございます。

 今回は、今よく頭に思い浮かぶことを書きたいと思います。

 やはり義父母や最後に僕だけに謝るように強要した義理の弟に憎しみを感じてます。 

 間違った考え方かもしれませんが、僕と同じような苦しみをあじわってもらいたいです。

 社会的制裁を受けてもらいたいです。

会社と義父母を訴える事も考えましたが子供達も事を考えると出来ませんでした。

 二度と会いたくないと考えてます。もちろん亡くなっても葬式にも行かないつもりです。

 間違っているでしょうか?

でも、とても会えません。何処かで会えばまた病気が再発するのではないかと心配になります。

 早く居なくなってほしいと日々思っています。

再発してから2

新しい会社を一週間で退職してからは、一度妻と一緒に心療内科へ行きました。

 心療内科の先生は、一週間では新しいこと習得するのは年齢的にも難しいことですよ、出来なくて当然ですよ。と言ってくれました。

 確かにそうなのですが、僕の中では出来なくちゃいけない、やれないといけないと言うことが先にきて、自分で自分を追い込んでしまっているそうなのです。(自分では、わかっていてもそれをやめる事ができなかったのです。)

 仕事場でもずっと追い込まれていたのでもうおかしくなっていたんだと思います。

 以前の仕事は妻の実家の会社に、十八年前に入社しました。義父が社長です。

義母、それと妻の弟、あとはパートさんが二人です。 

 いわゆる家族経営の会社です。妻の弟は、僕より4歳年上です。妻の弟とは仲良くやれていたと思います。

 十八年働いて確かに良いこともありましたが、今となっては憎しみの方が大きいです。

 

再発してからは、

おはようございます。

今日は再発してからのことを書きます。

 今まで通り家事をしていました。

家族に申し訳ない気持ちでした。 

 自分でも、もう治った! 頑張ってやっていけると思っていたのでショックは大きかったです。子供達も泣きながら心配してくれました。あと自分たちもこのまま学校に通えるのか?部活も続けていいのか?ローンも払えず家も売って出ていかなければいけない?とかとても不安がっていました。

 毎日、洗濯と掃除をしていました。それらは普通にやることが出来ました。

 最初の原因は義理両親からの嫌がらせや、いじめでしたから(僕はそう感じてました。)

 もう会わなくて良くなってからは、随分回復していましたが、療養がまだ足りなかったようです。

 最終的な僕の診断結果は適応障害でした。

家に居るときは全然平気でした。計算ができなくなっていたのでダイソーで大人の計算ドリルと漢字の書きとりを買ってきて毎日やっていました。

 

再発

久しぶりにブログを更新します。

皆さんこんにちは、今の現状はとても良好です。

 一度は就職しましたが、また鬱が再発をして病院に通うことになりました。

 やはり自分で自分を追い込んでしまう性格が治っていない?変わっていないと言う方があっているのかも?

 一度働いた会社では社長さんもチームのリーダの方も良くしてくださっていました。

 何が良くなかっのかと考えると自分の中で簡単な計算や作業手順が覚えられない事など今までの自分でなくなっている!

 今度は出来ないとどうしていいかわからなくなってしまって動けなくなる。聞くことも言葉を発する事も出来なくなって固まってしまってました。

 リーダの方が出来ている事もあるから自身を持ってやればいいですよと言われても、できない!できてない!やれないが、頭の中を回って動けなくなっていました。 

 今度は自分を責めて僕は頭が悪いからとか自分を卑下しながら謝るようになっていました。

 リーダの方から自分を卑下するのはやめましょう。誰もそんなことは思ってませんよ。と言われても自分を責める事がやめれませんでした。

 家族の事もあるし、子供の事を考えて頑張らないといけない!出来なきゃいけない!けどできない!最後はどうすることも出来なくなってしまいリーダの方が見かねて話をしていただいた時に鬱の事を話しました。すぐに社長さんに話をされたようで、帰りに社長さんに呼ばれ話しをしました。

 社長さんは仕事は、どうですか?慣れましたか?と優しく聞いてくれました。社長さんも僕の働いている姿が辛そうなので気にはなっていたようです。

 僕は素直に鬱のことも話しました。

社長さんは納得したようで部署を変えましょうか?と言ってくださいました。

 でも僕は、とても働けないと思い退社を希望しました。話をしているあいだ僕は泣きながら話しました。辛くて、できない自分が情けなくて、どうしていいかもわからず泣いてました。

帰りに社長さんやチーム方達に短い間でしたがお礼を言って帰りました。

 家に着いたらまた泣けてきて「ごめん続けれなかった」と妻に泣きながら言いました。